2021/05/07
There are two ways to exert power. One is the "power" that is exerted by straddling or shifting weight. The other is the "power" created by cohabiting conflicting forces. These two different types of power are expressed by the same kanji "力", but their meanings are completely different. The "power" generated by straddling, weight transfer, extensor muscles, and flexor muscles becomes the "force to destroy" the opponent. Therefore, once you receive it, you will not receive it many times. Since...
2021/02/17
自然体になるということは、自分の身体が重力に対して平衡状態を保つことを意味します。この重力との平衡状態が身体のゼロ化と言われるものです。自分の身体を重力と平衡状態を保つにはある意識状態になる必要があります。その意識状態とは、空間をつかむ明澄さのことです。それは、自分の身体を整えて立とうとする意識ではなく、周囲の空間との関係によって自分を立たせる意志力のことです。 自分の身体を整えようとする段階、つまり意識的に姿勢を整えようとする段階はその前段階としては必要なことですが、姿勢をよくすることで自然体になれるわけではありません。姿勢をよくすることはあくまでも骨格を正しい位置にすることにすぎず、それはちょうど積み木を正しく積み上げることと似ています。正しく積み上がっただけでは、自然体にはなりません。それはただ重力にゆだねている状態にすぎず、ちょっとした動きが加わるだけでもバランスを崩してしまい、居ついた状態になってしまいます。高く積み上がった積み木をもって歩いてみればわかります。バランスを失えば、積み木はあっという間に崩れてしまいます。なぜなら積み木の一つ一つは単に重力に任せて下のパーツに乗っかているにすぎないからです。 身体を重力にゆだねたり、任せたりするのではなく、全身の各パーツに、重力と平衡状態を保とうとする意志力が浸透しなくてはなりません。そうして初めて「自然体」と呼ばれる身体になることができるのです。自然体になったとき、身体の各パーツは「生きたもの」になります。生きた足、生きた手、生きた背中・・・・自然体というこの重力との平衡状態は、ゼロ化の状態と言われるものですが、それは同時に生命力をもった生きた身体でもあるのです。
2021/01/12
心勢会の技には「身体操作」と「意識操作」の2種類があります。技を受ける側は、どちらでかけられても柔らかくかかりますので、その違いはあまりわかりません。しかし、技をかけるほうは明確に区別してかけます。...
2020/11/01
姿勢が崩れる時は、下半身が間違いなく上半身から切れている状態になります。通常袴腰ができていれば、下半身は上半身とつながっていますが、その袴腰を腰の操作で作くろうとしてもできません。腰でやろうとするとどうしても腰に力がはいってしまうからです。腰に力を入れてしまうと、あっというまに下半身が切れてしまします。腰は柔らかく自在に動きながら、上半身とのつながりを保たなければなりません。 そのためには尾骨の意識が必要になります。尾骨を胸骨に当てるようにするといいでしょう。そのとき骨盤が後傾しないように注意してください。骨盤が後傾してしますと、足がつっぱってしまいます。そうならないようにできる限り尾骨だけを胸骨に当てるようにします。 ナイファンチのときに、波返しから上半身を横に向ける時に、尾骨が胸骨に当たっていれば、下半身は上半身とのつながりが保てます。しかし、尾骨が胸骨をとらえられずに離れてしまえば、捻じれが生じて、下半身の力を上半身に伝えることができなくなります。 姿勢がある程度できて、踵から足指のほうに身体が流れなくなった人は、この尾骨を意識して型稽古をされると良いかと思います。
2020/10/28
相手に入るためには、分離感をなくすこと。分離感とは反感であり、感情の一種です。この分離感という反感は一度生まれると意識的にそれを消すことはむずかしく、その感情を消すことに囚われれば囚われるほどその感情はますます強まっていきます。しかし、もし接触点から伝わる相手の圧感を大事にできる意識があれば、反感ははすっと消えていきます。このすっと消えていくときに、まさに相手にはいることができています。触覚は単なる相手を知る機能だけでなく、自分の感情を超える感覚的叡智であり、相手とつながる高次感覚のように思えます。 触覚を通して、身体からもたらされる情報を丁寧に意識する冷静さを訓練するのも稽古の一つでしょう。 分離感が生み出す衝突が、感情の衝動的行動だとすれば、相手に入るとは、触覚による共感的身体知と言えます。
2020/10/21
サンチンにしてもナイファンチンにしてもパッサイにしても、その身づかいは同じで、「命門の開き」、「胸鎖関節の開き」、「蝶形骨の開き」・・・・になります。この3つの開きがあってはじめて武術的な脱力が生まれます。...
2020/09/25
相反する力が同居するときにゼロの力が生み出されます。相反する力とは左に行く力と右に行く力、左に回転する力と右に回転する力、上に行く力と下へ行く力、つまり、二極性の力のことです。そしてこれらの二極性の力が一方に偏るのではなく、ひとしくぴったりと働いているときに生じる力が、ゼロの力、いわゆる丹田のことになります。そしてこのゼロの力を身体の中で生み出すために必要なのが呼吸です。 呼吸こそがゼロの力を生み出す根源なのです。それは吸うと吐くが同居する瞬間に生み出される力のことです。 吸うと吐くがが同居するとは言い方を変えれば、吸うでもなく吐くでもない瞬間のことです。吸うでも吐くでもないという瞬間とは息を止めているのではありません。限りなく吸い、限りなく吐くことの結果生じた身体のあり様のことです。 吸うことによって生じた身体と吐くことによって生じた身体、この二極性の身体が出会うときに、ゼロの力となります。
2020/08/30
もし術理のプロセスを単純化した言葉で語るとすれば、それは「とらえ」と「はいり」になるのではないか。 「とらえ」とは、相手をとらえることであるが、それは自分が相手をとらえるというよりは、むしろ相手に自分をとらえさせるということが正しい表現である。...
2020/08/27
人間の身体の中には退化してしまっているが、コマの芯のようにエネルギーを生み出す場所がある。その部位は退化しているので、頭で意識することもできなければ、指を動かすように、意識して動かすことは当然できない。...
2020/08/25
命門の開きが、袴腰を作るために欠かせないことでありますが、多くの人が、袴腰を作ることにしくじってしまうようです。 それはきっと意識的な身体操作でそれをやろうとすることにあるのかもしれません。...