統一体になるためにはまずは姿勢、そして歩き、そして呼吸が大事になります。この3つを型稽古で身につけていくわけですが、最初は型を自分の身体にコピーするための対象が必要になります。いわゆる師の存在あるいは、は型ができる仲間の存在です。
このような点から、どんなにサンチンの解説書、ナイファンチの解説書を読んだとしても、頭からの理解になり、統一体へとは移行できません。
統一体ができる人を通して学ぶことが大事です。それは言葉の習得と同じです。
英語を学びたいと思えば、やはり教科書ではなく、英語ができる生の人間を通して学ぶことがひつようなように、統一体もリアルな人間を通してしか学べません。
統一体は、本などの頭に入るインフォメーションからではでは学べません。
スポーツでもイメージが大事だといわれるのと同じように自分の身体をイメージとしてとらえることができるようになるために、イメージを具体化した実態として先生や型ができる仲間が必要になります。
つまり、イメージを身体に移し、そしてその身体がイメージ通り動かすことができた時に初めて統一体が生まれます。
ところが頭で考えるとどうしても筋肉反射がおきますので、筋肉反射がおきるような身体イメージが定着してしまうと、スポーツ空手ならばいいのでしょうが、古伝空手が求めるような動きの質にはなりません。
極端な言い方をすれば、統一体とは支点がまったくない状態の身体になります。そのような身体、別の言葉で言えばゼロの身体、別の言葉で言えば透明な身体、です。
ゼロの身体、透明な身体である統一体になるために人を鏡にした型稽古が必要になります。